商売としては正しいのでしょうが、ライブで知っている人にとっては何故?
156のGTAのAの意味が不明、
本来軽いを意味するAに商売の魂しか見えない、
重いエンジンを使い前輪だけを駆動するには限界があるのはわかっているのに過去の栄光のAを使う、
あきれたのはフィアットアバルト500何を求めて買うのでしょうか、
ブランドをあまりにも安易に使いすぎだと思うのは私だけでしょうか?
アバルト氏が生きていたらなんと言うでしょうか。
そもそもアバルトの魂はなにかを理解していればあれはない、
500にアバルトブランドを付けて売るのはフィアットの台所事情が悪いんでしょう。
グローバル視点でみれば実用車としてはヴィッツやマーチに比べれば商品力はない、イタリア商品としての価値はあるが数を売らなければならない大衆車にあのマーケティングは?
ジュリアGTAの時代はツインプラグストックエンジンでも世界的に見てもパワーのあるエンジン(チューニングのベースとしての高級エンジン)や一級のブレーキ(世界的にみてもレーシングカー以外では4輪ディスクは少なかった)、軽量ボディ(ジュラルミン多用)など最新技術満載でしたが現在の156GTAのエンジンは排気量を考えれば決してパワーのあるものではない、最新の技術もなかった・・・・・
ジュリアGTAはレーシングフィールドを見据えたホモロゲート市販車、生まれが違いすぎます。
現在の車でGTAの魂を具体化することは不可能でしょう、
まず安全基準を満たすことが出来ない、あの軽さで基準を満たすとなるとカーボンしかない・・・・物凄く高価になる・・・・市販車として成り立たない。
少ないマーケットにメーカーは絶対手を出すはずもない。
だからこそ古い車に存在価値があるのではないでしょうか、
現在の基準では性能は低いが駆るという行為を満足させることが可能なジュリアが